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東京地方裁判所 平成5年(ワ)8066号 判決

主文

一  被告桜井敬一は、原告に対し、金一三七九万六二二円及びこれに対する平成五年五月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告桜井昭生及び被告桜井敬子は、原告に対し、各自金五五一万六二四九円及びこれに対する平成五年五月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金二七五八万一二四四円及びこれに対する平成五年五月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、貴金属宝石類の販売を業とする原告が、原告の従業員であつた被告桜井敬一(以下「被告敬一」)が貴金属宝石類在中の鞄を窃取されたことを被告敬一の保管義務違反と主張して、被告敬一に対しては、雇用契約の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告桜井昭生(以下「被告昭生」)及び被告桜井敬子(以下「被告敬子」)に対しては、いずれも身元保証契約に基づき、窃取された貴金属宝石類の価格と同額の損害賠償金及び訴状送達の日の翌日からの民法所定の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、貴金属宝石類の販売を業とする会社であり、被告敬一は、平成四年一月一〇日に原告に雇用され、同年四月一日から平成五年二月二〇日まで営業担当の従業員として貴金属宝石類の販売業務に従事していた。

2  被告昭生及び被告敬子は、それぞれ、原告との間において、平成四年一月一〇日、被告敬一が故意又は重過失により原告に与えた損害を被告敬一と連帯して賠償する旨の身元保証契約を締結した。

3  被告敬一は、平成四年八月三一日午後五時一〇分ころ、営業のため訪れた神奈川県横浜市西区南幸一--一--一横浜駅ビル「シアル」四階所在の宝石店「エメラ」(以下「本件店舗」)において、被告敬一保管にかかる原告所有の貴金属宝石類が入つた鞄(以下「本件鞄」)を窃取された。

二  争点

1  被告敬一の保管義務違反(原告の主張)

被告敬一は、営業担当の従業員として、本件鞄を盗難に合わないよう常に手もと(最大でも半径一メートル程度の範囲内)に置く等十分注意して保管すべきところ、本件店舗において納品書を作成する際、本件鞄を本件店舗のカウンターの出入口付近の床に置き、四メートル以上離れた場所にある机で鞄に対しては後向きの状態になつて右事務を行つた。

したがつて、右の行為は保管義務違反(重過失)として雇用契約上の債務不履行にあたる。

(被告らの主張)

被告敬一は、営業勤務をするにあたつて最初の一か月間は丸山嘉一営業部長(以下「丸山部長」)と共に得意先を回り、丸山部長から、本件店舗においては、従業員の邪魔にならないよう貴金属宝石類の入つた鞄はカウンターの出入口付近の壁ぎわに置き、机が空いているときは机で納品書を作成するよう指示された。

被告敬一は、丸山部長の指示どおりの場所に本件鞄を置き、机で納品書を作成したものであり、債務不履行はない。

仮に、被告敬一に保管義務違反があるとしても、被告敬一が本件鞄を置いた場所はカウンターから容易に手を伸ばして届くような場所ではなく、本件鞄は本件店舗の従業員らにも気付かれない間に巧妙に窃取されたものであるから、被告敬一の保管義務違反は軽過失にすぎず、重過失ではない。

この場合、被告敬一は債務不履行による損害賠償責任を負わない。

2  原告の損害(原告の主張)

本件鞄の中には、別紙一覧表記載の貴金属宝石類合計三九七点が入つており、原告は合計二七五八万一二四四円の損害を被つた。

なお、原告主張の損害額の中に転売利益が入つているとしても、原告は卸売業者であるから、転売利益は通常損害として認められるべきである。

(被告らの主張)

原告が主張する貴金属宝石類の価格は卸売価額であるが、原告の実損害額は原価である取得価額で算定すべきである。原告は、通常二五パーセントから三五パーセントの利益を乗せて業者に販売しているので、原告の実損害額は原告の主張を相当下回ることになる。

3  被用者の責任制限(被告らの主張)

原告は、貴金属業者として、盗難事故を防止するため、高額な貴金属類が入つた鞄を従業員一人に持たせて営業することをさせない、盗難事故があつた場合の保険に加入する等の措置を講ずるべきであつたのに、これらの措置を採つていなかつた。

したがつて、被告敬一に損害賠償責任があるとしても、その額は、過失相殺の法理、信義則上、大幅に制限されるべきである。

(原告の主張)

保険に加入するかどうかは会社の経営判断であり、それによつて被告敬一に対する損害賠償請求権が制限されることはない。

4  身元保証人の責任制限(被告昭生及び被告敬子の主張)

被告昭生は一か月約三〇万円(ボーナスはない)の収入しかなく、被告敬子も一か月約二〇万円のパート収入があるにすぎず、両被告とも不動産等の資産は何もない。

右両被告は、被告敬一が原告に入社するに際し、原告から直接被告敬一の業務内容、特に、高額な貴金属類が入つた鞄を常時持ち歩くこと等は聞かされておらず、被告敬一から言われるままに身元保証人になつたにすぎない。

右のような被告昭生及び被告敬子の事情、3で指摘した原告の管理、監督上の過失を斟酌すると、身元保証に関する法律五条に基づき、被告昭生及び被告敬子の責任の範囲は著しく減額されるべきである。

(原告の主張)

原告は、日頃から貴金属類が入つた鞄の管理について身の回りから離さないようにと従業員を指導しており、従業員を監督する上での過失はない。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  第二・一・1の争いのない事実並びに《証拠略》によれば、原告は、貴金属宝石類の卸売を業とする会社であり、貴金属宝石類を仕入れてそのまま又は加工を加えて小売店舗に販売していたこと、原告の営業担当の従業員は、平成四年当時、被告敬一を入れて六名おり、各人が貴金属宝石類が入つた鞄を持参して通常は一人で小売店舗への営業に出掛けたこと、被告敬一は、昭和六二年に高等学校を卒業して配送業の仕事に就いた後、宝石会社に就職し加工の仕事等を経験したこと、その後平成四年一月一〇日に原告に入社し、当初は、内勤、値札付け等の仕事に就き、同年四月一日からは営業担当の従業員として貴金属宝石類の販売業務に従事したことが認められる。

2  本件店舗の構造等についてみるに、《証拠略》によれば、本件店舗の平面図は別紙図面のとおりであり、本件店舗は、駅ビルの一角にある店舗であるが、壁、仕切材等で四囲を区切られた店舗ではなく、二方向は人の背丈以上の高さのショーケース又はショーウィンドー等で仕切られているものの、幅約七六センチメートルの通路状の部分(本件店舗の従業員はこの部分に立つて販売業務を行つていた)を隔てて他の二方向は上部がショーケースになつているカウンターで通路と仕切られていたこと、カウンターには、従業員、関係者が通路状の部分に出入りするための幅約四三センチメートルの出入口があり、着脱可能なロープが張られていたこと、標準的な背丈の男性であれば、カウンターの出入口に張られたロープの外側から腕を伸ばして反対側のショーケースの前に置いてある大きめの鞄を取ることは可能であつたことが認められる。

3  また、本件鞄の盗難の経緯について、《証拠略》によれば、被告敬一は、平成四年八月三一日午後四時三〇分ころ、一人で本件店舗を営業のため訪れ、別紙図面のA点(カウンターの出入口付近の反対側のショーケースの前)に本件鞄を置き、本件鞄の傍らに立つて本件店舗の従業員にいくつかの商品を見せた後、購入される商品が決まつたため、A点から約四メートル八七センチメートル離れた場所にある机に本件鞄に背を向ける形で座り、納品書を作成し始めたこと、その途中で本件鞄から物を取り出そうとして本件鞄の盗難に気付いたこと、なお、本件店舗の従業員は、当時いずれも接客中であり盗難に気付かなかつたことが認められる。

4  ところで、被告敬一は、営業担当の従業員として貴金属宝石類が入つた鞄を持参して販売業務に携わつていたのであるから、雇用契約上、右鞄が盗難に合うことがないよう十分注意してその保管に務めるべき義務を負つており、具体的には、特段の事情がない限り、右鞄を手もとに置いて保管すべき義務を負つていたというべきである。右は、被告敬一本人が、「貴金属宝石類が入つた鞄を、電車で座席に座つたときは足元の後方に置き、また、本件店舗以外の小売店舗において納品書を書くときも足元に置いていた」旨供述しているところでもある。

そうすると、本件店舗の構造は2で認定したとおりであり、本件鞄をカウンターの出入口付近に置いたままにしておいた場合、反対側のショーケースの前であつたとしても、カウンターの外側からでもこれが窃取されるおそれがあつたにもかかわらず、被告敬一が、3で認定したように、本件鞄を別紙図面のA点に置いたままそこから四メートル以上も離れた場所にある机に本件鞄に背を向ける形で座り納品書を作成したことは、右の保管義務を怠つた債務不履行にあたるといわざるをえず、本件鞄を一定の時間手もとから離していたという基本的な義務違反であるから、その違反の程度は重過失に該当するといわざるをえない。

5  被告敬一本人は、「本件店舗では、宝石の入つた鞄の置き場所に関して、丸山部長から、レジ付近は店の従業員が作業をしていてそこに置くと歩くスペースがなくなつてしまうから、A点に置いて構わないとの指示を受けた」旨供述する。

しかし、他の店舗に関しては鞄の置き場所まで指示がないのに本件店舗に関してだけ特別指示されるということ自体不自然である上、その内容も、ことさら貴金属宝石類が入つた鞄を手もとから離し、本件店舗内では最も出入口に近い場所に置いてよいというもので不可解である(《証拠略》によれば、本件鞄を机の付近に置くことがそれほど本件店舗の従業員の邪魔になるとはいえないことが認められる)。さらに、証人丸山嘉一の反対趣旨の供述にも照らすと、被告敬一本人の前掲供述はこれを措信することができない。

6  右によれば、被告敬一には、重大な過失に基づく雇用契約上の債務不履行があつたというべきである。

二  争点2について

《証拠略》によれば、本件鞄の中には、別紙一覧表記載の貴金属宝石類合計三九七点、二七五八万一二四四円分が入つていたと認めることができる。

被告敬一本人は、「他の従業員や社長によつて鞄の中から宝石が抜き取られることがあり、年二回の棚卸しの検品時まで正確に在中商品を把握することはできない」旨供述するが、本件において、訴状提出後、納品書のチェック等から四点の商品について本件鞄に入つていなかつたとの訂正があつたことに照らすと、他の商品が本件鞄に入つていたことは信頼することができ、被告敬一本人の右供述のみで前記認定を左右することはできない。

また、《証拠略》によれば、別紙一覧表の各貴金属宝石類の価格は原告が小売店舗に販売するときの卸売価格であることが認められるが、すでに認定したとおり、原告は貴金属宝石類の卸売業者であるから、卸売価格の中に原告の転売利益分が含まれていたとしても、これは原告の通常損害というべきである。

したがつて、原告は本件鞄が窃取されたことによつて二七五八万一二四四円の損害を被つたと認められる。

三  争点3について

1  使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り、又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解される(最高裁昭和五一年七月八日判決・民集三〇巻七号六八九頁参照)ところ、右の理は、使用者が、雇用契約の債務不履行に基づき、被用者に対し損害の賠償を請求する場合も同様であると解するのが相当である。

2  そこで、これを本件についてみるに、原告の事業形態、被告敬一の職務内容は一・1で認定したとおりであり、《証拠略》によれば、原告の平成四年度の売上げは四億円弱、利益はプラスマイナスゼロであつたことが認められ、被告敬一の日常の勤務態度に何らかの問題があつたと認めるに足りる証拠はない。

また、被告敬一本人によれば、原告に勤務していたときの被告敬一の給料は手取りで一か月約一九万円であつたこと、現在の被告敬一の収入は、給料が手取りで一か月約二四万円、ボーナスが税込みで一か年約一〇〇万円であり、自動車を保有している以外格別資産は有していないことが認められる。

そして、被告敬一には、一・4で認定したとおり重過失があつたとはいえ、本件は、第三者の窃盗という犯罪行為によつて引き起こされた被害であり、《証拠略》によれば、原告は、多額の貴金属宝石類を扱つているのに、営業担当の従業員が持ち歩く貴金属宝石類について盗難保険に入つておらず、本件を契機に保険に加入したことが認められる。

3  2で挙げた各点を考慮すると、損害の公平な分担という見地からは、原告が被告敬一に対し請求することができる損害賠償の範囲は、損害額の半分、すなわち、一三七九万六二二円とすることが相当であり、右を越える部分は請求することができないと解すべきである。

四  争点4について

《証拠略》によれば、被告昭生は被告敬一の父、被告敬子は被告敬一の母であり、平成四年当時も現在も被告敬一と同居していること、被告敬一は、原告から二人の身元保証人を求められ、被告敬子に対しては宝石会社の営業担当の従業員になることを話して身元保証人になることを依頼し、被告昭生に対しても原告に勤務するようになつてから仕事の内容は話したことが認められる。

一方、《証拠略》によれば、被告昭生は一か月約三〇万円の収入しかなく、被告敬子も一か月約二〇万円のパート収入があるにすぎず、両被告とも不動産等の資産は何も有していないことが認められ、原告は身元保証書を徴しただけで、原告が被告昭生及び被告敬子の資産等について調べたり右被告らの保証意思を直接確認したりしたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、原告としても、被告昭生及び被告敬子の身元保証をそう重視してはいなかつたのではないかとも考えられる。

これらの事情及び三・2で挙げた事情を考慮すると、被告昭生及び被告敬子が、それぞれ身元保証人として、被告敬一と連帯して負担すべき損害賠償の範囲は、被告敬一が負担すべき損害賠償額の四割である五五一万六二四九円とすることが相当である。

五  以上によれば、原告の本訴請求は被告敬一に対し一三七九万六二二円、被告昭生及び被告敬子に対し各自五五一万六二四九円並びに右各金員に対する訴状送達の日の翌日からの遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却することとして主文のとおり判決する。

(裁判官 江口とし子)

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